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円通寺

円通寺四十世良範上人が文化6年(1809)入山、再興したもので、中世より江戸時代まで文化の中心を成した大沢文庫の面影を伝える建物である。上下層とも三間四面で下層正面および両側に桟唐戸を設け左右に花頭窓を開けている。上層は正面一間に板唐戸を設け、左右に丸窓を配しているので、正面の柱間装置が変化に富んでいる。上層は二重扇垂木で露盤上に宝珠を設けている。学僧の育成を目的とした学問所・大沢文庫があった。表門が重要文化財。裏山に入定塚古墳がある。

綱神社

宇都宮朝綱が土佐の賀茂明神を勧請した社。阿遅高彦根命を祀る。

西明寺

西明寺は獨鈷山西明寺と称し、真言宗豊山派に属する。本尊は十一面観世音菩薩。板東巡礼第20番、下野第13番の札所でもある。益子勝直によって開扉供養が行われ、元禄14年(1701)大改修で現在の形成になった。柱は円柱で内法貫と頭貫をめぐらし隅柱外方には唐獅子彫刻を取り付け、中備の蟇股は十二支が刻まれている。内部は中三間が蔀戸、他は引き違い板戸で内外陣に分れ外陣天井は鏡天井で龍の墨絵が描かれている。内陣は格天井で人物花鳥等が描かれ単彩が施されている。内外陣の欄間は天女奏楽、鶴と仙人、浮舟上の仙人などの彩色彫刻がある。県指定の天然記念物である「こうやまき」「椎林叢」、町指定の天然記念物である「クスノキ」「ムベ」「シカクダケ」「リンボク群生地帯」などもある。

天王塚古噴

横穴式石室。古代中国の天文術により設計された。後円部南側のややくびれ部寄りで、墳頂下約2.2mに天井石を置く横穴式石室をもつ。玄室:幅1.57m長さ4.55m高さ1.61m羨道:幅0.60m長さ2.30m高さ1.55m両側は平石積出土品:環頭太刀、鉄刀、兜、白銅鏡、青銅鈴、鈴杏葉、埴輪、鏡、馬具等天王塚古墳は益子町道祖土字荒久台にある古墳群(荒久台には28基の古墳が確認されている)の主墳と考えられている。築造年代は石室や副葬品の特徴から見て5世紀後半から6世紀前半である。

高館城跡

高館山頂にある。別名益子城,西明寺城ともいわれた。益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができる。また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもつ。

風戸塚古墳

頂頭部は平坦な截頭円墳である。比較的大型の円墳であるが、周溝もはっきりせずまた墳端部は削平され墳頂部も変形が著しい。また葺石等は不明瞭で埴輪等の細片も見当たらない。主体部が未調査のため築造年代は不明であるが、古墳時代後期のものと思われる。

小宅古墳群

前方後円墳5基と円墳13基以上が群在。

入定塚古墳

円通寺一切経塔の南西約50mに位置し、小貝川の東岸にあたり、八溝山地の一部をなす鶏足山塊の西側に立地する。小貝川の沖積地との比高差は約40mあり、樹木がなければ見晴らしのよい環境にある。昭和33年(1958)に県の史跡に指定された際には前方後円墳と考えられたが、その後の「栃木県史」には前方後方墳との記載がある。周溝や葺石、埴輪などは認められない。後方部と前方部の高さが同じであることや墳丘全体が平たく低く構えているところから、古墳時代後期の築造と思われるが、中期という説もある。

陶芸メッセ・益子

開館:2月〜10月9:30〜17:00入館は閉館30分前まで 開館:11月〜1月9:30〜16:00入館は閉館30分前まで 休館日:月祝日の場合は翌日年末年始展示替えによる臨時休館あり

「陶芸美術館では、人間国宝の故濱田庄司の作品とゆかりのある作品を常設展示するほか、年に数回企画展を開催。「笹島喜平館」では、棟方志功に師事した版画家笹島喜平の作品を展示。その他敷地内に「旧濱田庄司邸」を移築し、その前には生前に濱田庄司が愛用した登り窯を復元している。「陶芸工房」では陶芸体験ができる。

椎林叢

本州福島県から琉球および済州島の暖帯にはえ、庭木として栽植する常緑高木。樹皮は縦に裂ける。葉は厚い革質、長さ5〜15cm、裏面は淡褐色。花は晩春、雌雄同株、虫媒。果実は長さ1.5cm位で総包の中に包まれ成熟すると3裂し食べられる。材は椎茸の台木、薪炭などに。参道の階段の両側とその周辺にあり、目通り周囲2m以上のもの19本が指定を受けている。うっそうとした巨木の森が独特の雰囲気をかもし出している。

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