全日本の観光地へ
茂木城主八田知基により建立され、その後茂木氏が秋田に移封されると細川氏が藩主となり細川家の菩提所となった。
県指定有形文化財で柱はケヤキの丸柱で礎盤をつけ、扉は藁座に立つようにこしらえてある。梁上に「火ぶせの斧跡」が見られる。
外陣,内陣が独特の形式で,彫刻,絵画類は見事。
那須与一の兄が築城した山城。別名を教ヶ丘城とも言う。城部は標高240mの山頂で東西90m南北370m現在は一部の遺構が残るのみ、1585年謀殺の悲話を残し、落城となった。
八田知基が築城し約400年間茂木氏の居城となっていた。城跡には、本丸・二の丸・三の丸・大手門・千人溜・鏡が池等の跡があり、現在城部は城山公園となっており、眼下に城下町を一望できる。
茅葺屋根の寄棟造、桁行16.4m、梁間7.9m、土間と3部屋からなる農家である。棟札に“元禄2(1689)年巳歳9月12日”と記されており、年代のはっきりした古い民家は東日本では珍しい。また、土間の中に手斧削の柱が立てられているのも特長の一つで、民家研究の貴重な資料である。現在住宅は使用されていない。
茂木町中心部から北へ5.5kmの九石の集落にあり、遠方からはこんもりと茂って見える。江戸時代、元禄11年(1698)からの旗本梶川氏の領地巡視の際には、梶川氏がこの木の下で休み「まれに見る大木じゃ」とほめたたえたといわれている。幹は途中で枯れているので高さはないが太く、実に巨木の感を与えている。樹齢約800年
ソメイヨシノが1500本ある。
県指定天然記念物で椎樫と赤松からなり見事な景状をなしている。椎樫は北限とされている。
樹令300年の県指定天然記念物で「4本桜」または「肥しよい桜」とも呼ばれる。東方から見ると寄せ植えの盆栽のように見える