高館山頂にある。別名益子城,西明寺城ともいわれた。益子氏の居城として、天正17年(1589)宇都宮国綱、芳賀高継らによって滅ぼされるまでの間、高館山の山頂を中心に構築された中世山城で、全国的に見てもとても規模が大きく、現在も当時の土塁や空堀の姿を見ることができる。また、南北朝時代は西明寺城とよばれ、関東六城(関、大宝、真壁、伊佐、中郡、西明寺)の最北端の城として活躍した歴史をもつ。
栃木県芳賀郡益子町益子
(1)益子駅から徒歩で
時代:1058
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