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松陰神社

維新の原動力となった吉田松陰を祀る神社で、明治40年(1907)伊藤博文らによって建立されました。境内に松下村塾や遺墨展示館・吉田松陰歴史館があります。

龍蔵寺観音堂

本堂は中世に建てられた萩最古の建物。6月にはアジサイが咲きます。

長寿寺(十三重塔)

十三塔は、“抜け寺”の名で親しまれる長寿寺本堂に向かって左側にあり、花崗岩製で相輪は失っているが、他は当初のまま残っています。高さは相輪を除き5.45mあり、実に堂々とした石塔です。下層の軒の一辺は1.17m、最上層の軒の一辺は0.75mで、厚い軒、両端の力強いそりは申し分のない鎌倉後期の様式です。この塔は、もとは長門市油谷向津具の二尊院にあったものを、江戸初期、長州藩の重臣榎本伊豆が萩へ引取り自邸に建て、その後商人の熊谷浄味が貰いうけ、長寿寺に建立したものと伝えられています。

大照院

大照院は、萩藩二代藩主毛利綱広(つなひろ)が再興し、明暦2年(1656)までに本堂以下の建物を整えた臨済宗寺院です。大照院には、初代藩主秀就(綱広父)をはじめ、二代以下の毛利家歴代(偶数代)の墓所があります。8月13日の万灯会には600余基の燈籠に火が入り、幽玄の世界をつくり出します。

明倫館遺構聖廟(海潮寺)

海潮寺本堂は、藩校明倫館の聖廟堂を移築したもの。聖廟は、市指定有形文化財(建造物)に指定されています。

明倫館遺構聖賢堂

聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺きで桁行7.68m、梁間2.86mである。大棟の両端には一文字三星の毛利家紋の棟瓦が載せてあり、当時の面影をとどめている。外観は南側に4か所、西側に2か所の火燈窓があり、北側には後に庇をつけた入口を設けている。内部は畳敷き10畳半と板敷1畳半があり、当時は聖廟で行われる釈菜(孔子の祭)の道具などを納めたり、その準備に使ったところでもある。

大板山たたら製鉄遺跡

近世の製鉄の歴史を知るうえで貴重な遺跡です。安政4年(1857)長州藩が建造した庚神丸には、この大板山たたらで生産された鉄が使用されたと記録されています。

上長瀬一里塚

山口から萩に向かう、防長の国境をこえた最初の一里塚。凝灰岩を積み上げて径5mの塚をつくっています。

奥阿武宰判勘場跡

勘場跡は、貞享4年(1687年)から明治11年の初めまでの200年間、奥阿武宰判の代官所として、むつみ村、阿東町、須佐町、田万川町、阿武町(奈古を除く)を統括し、政治・文化の中心地でした。現在は、敷地及び周辺の石組みが残っています。

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