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吉田松陰の墓及び墓所

吉田松陰の墓は松陰誕生の地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な所に建っている。墓碑は高さ0.8m、幅0.45m、礎石からの高さ1.6mの花こう岩質の自然石で作られている。表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれている。万廷元年(1860)2月7日は松陰の没後100ヵ日に当たるので、生家の杉家では100ヵ忌を営み遺髪を埋めて造られたものである。墓前には、門人17名が寄進して、その名を公然と刻んだ石製水盤、花立、燈籠が供えられている。また、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作などの墓が立ち並んでいる。幕末の日本史上に影響を与えた松陰と係りの深い人々との墓所として歴史的に重要である。

鬼揚子

萩沖の見島では、長男が生まれると、その年の年末に親戚や近所の人が傘紙を持ち寄り、畳6〜8枚分の大凧を作り上げます。正月に、子供の成長を祈って冬空に天高く舞い上げる風習が今も残っています。

萩城跡指月公園

城跡の構造をよく残していることが特徴で、園内には天守閣跡、花江茶亭、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの旧跡があり、また、春には県の天然記念物に指定されているミドリヨシノを始め、600本余りのソメイヨシノが咲き誇ります。国の史跡に指定されています。

大照院庭園

大照院は、萩藩二代藩主毛利綱広(つなひろ)が再興し、明暦2年(1656)までに本堂以下の建物を整えた臨済宗寺院です。隣接する大照院墓所は国指定の史跡で、秀就以下2代から12代までの偶数代の藩主と夫人及び一族と秀就に殉死した7藩士の墓石があり、墓前には藩士が寄進した石灯籠が600数基ある。その庭園は、京都の石苑天龍寺に似た萩第一の名園で、5月の藤、11月中旬の紅葉は特にすばらしい。毎年、8月13日には万灯会が行われる。

東光寺庭園

護国山東光寺は、元禄4年(1691)に3代藩主毛利吉就が萩出身の名僧慧極を開山として創建した全国屈指の黄檗宗の寺院で、大照院と並んで毛利家の菩提寺である。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿はいずれも国の重要文化財に指定されており、名刹の面影を残している。本堂裏の毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族、関係者の墓があり、墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並ぶ。このほか殉難十一烈士墓、維新志士慰霊墓八基などがある。寺宝類も多く、長州藩御用絵師の雲谷派の絵画、県指定有形文化財の木額、柱聯、傍牌などがある。また、毎年8月15日には万灯会が行われている。

熊谷氏邸庭園

熊谷家は、問屋と金融、仲買、製塩を業とし、萩藩御用達として栄えた豪商で、住宅は、明和5年(1768)に新築したものといわれ、美術館として一般に公開されています。庭園には、樹齢600年のソテツや200年の松灯龍などあります。

円政寺内金比羅社

●管理・申込円政寺月輪山円政寺は真言宗の寺院で、建長6年(1254)山口に創建された大内氏代々の祈願所。慶長9年(1604)頃に山口から移転され、毛利氏の祈願所となった。境内には十二支彫刻の欄間で知られる金毘羅社があり、神仏習合の形態が見られる点で貴重な寺といえる。伊藤博文が11歳の頃、住職恵運に諭され、読み書きを習い、また高杉晋作も子供の頃にはよくここで遊んだといわれており、晋作が小さい頃度胸をつけるために見せられたという天狗のお面もある。

東光寺大雄宝殿・鐘楼・山門・総門

東光寺は、長州藩主毛利吉就が開基で創立した黄檗宗の寺院。総門、鐘楼、大雄宝殿の三棟は1693年(元禄6)から1698年(元禄11)の間に建立されたもので、山門は遅れて1812年(文化9)に竣工しました。

東光寺

毛利家(奇数代)の菩提寺で、現在は総門三門、大雄宝殿、鐘楼だけが昔の名残りをとどめています。藩主の墓前に家臣が献じた数百の燈籠は圧巻。毎年8月15日に行なわれる万灯会は、この燈籠に火が入れられ、幽玄の世界をつくり出します。

志都岐山神社

萩城跡の中央高台に、本殿・幣殿・拝殿などがたっています。また、この神社のミドリヨシノは、県の天然記念物に指定されています。

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