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萩反射炉

安政5年(1858)に築かれたもので、艦船銃砲等の材料熔解製造に用いられていました。炉は玄武岩とレンガを使用し、基底は長方形で上部が漸次狭くなり、2本の煙突にわかれていて、高さは11.5mあります。

菊ケ浜土塁(女台場)

菊ケ浜の南側にあります。文久・元治の頃、萩の沖合にも黒船が出没した際、海防のために築造した砲塁です。

萩焼窯元天龍窯

営業:AM9:00〜PM5:00※体験の店頭受付はPM4:00まで 休業日:年末年始

じゃらんネットでは2種類の体験コースをご用意しておりますが、コースに当てはまらない方はお気軽にお問い合わせくださいませ。(0838-25-2649)

萩博物館

萩博物館は、旧萩城内にあたる堀内地区重要伝統建造物群保存地区内の大野毛利家上屋敷跡にあり、博物館本体は鉄筋コンクリート造りですが、瓦屋根を設け、木材を多く用い、武家屋敷の構成や外観の特徴にならっています。

田中義一別邸

明治期には、夏みかん栽培を奨励した小幡高政がここに住み、大正期に田中義一の所有となり、母屋などの増改築が行われ、現在の建物となりました。邸内には肖像画をはじめ大将服などが義一ゆかりの物があり、一般公開されています。隣接して“かんきつ公園”があり、夏みかんなどかんきつ類約10種類約400本の木が植えられています。

明倫館遺構南門

この門は、嘉永2年(1849)江向に新築された新明倫館の正門として建てられたもので、明倫館全体からみて南にあたるので南門と名付けられたが、通称表御門と呼ばれていました。門は切妻造り本瓦葺きで桁行3.94m、梁間3.15mの一間一戸の四脚門で、左右に袖があり、潜門がついています。明倫館正門時代には、入口の上部に扁額が掲げてあり、地に黒字で「明倫館」と浮彫されています。この門は、藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(孔子祭)」や公式行事以外は開かれませんでした。平成15年に本願寺山口別院から寄附を受け、旧地である明倫小学校敷地内へ移築しています。

旧福原家萩屋敷門

萩藩の永代家老で、宇部に1万1,314石を領した福原家の萩屋敷門。江戸時代中期の建立で家老の格式にふさわしい規模です。

明倫館遺構万歳橋

明倫館遺構物として現在は堀内の指月公園内にあります。

小川家長屋門

小川家はもと町奉行の一人で500石を領した中級武士。安政の初期,またはそれ以前の建築といわれ、扉の金具、出格子の細部など優れたもので、当時の武士の生活様式を知ることができます。

問田益田氏旧宅土塀

萩藩の重臣で4,000石を領した問田益田氏旧宅の土塀。堀内地区は萩藩重臣の邸宅が並んでいた所で、中でもこの土塀は最もよく旧態を留めています。市指定文化財。

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