聖賢堂は藩校明倫館の聖廟前、観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構である。明倫館廃校の後、両塾を合わせて1棟とし、市内東田町の阿呼社境内に移築されていたが、大正7年(1918)に再び元の地の明倫館跡へ移された。建物は切妻造り、起こり屋根桟瓦葺きで桁行7.68m、梁間2.86mである。大棟の両端には一文字三星の毛利家紋の棟瓦が載せてあり、当時の面影をとどめている。外観は南側に4か所、西側に2か所の火燈窓があり、北側には後に庇をつけた入口を設けている。内部は畳敷き10畳半と板敷1畳半があり、当時は聖廟で行われる釈菜(孔子の祭)の道具などを納めたり、その準備に使ったところでもある。
山口県萩市江向602明倫小学校内
(1)JR山陰本線東萩駅から徒歩で
(2)中国自動車道美祢東JCTから車で
小郡萩道路絵堂ICから車で(JCTと直結する小郡萩道路利用で萩市街地へ)
萩市中心部明倫小学校から徒歩で
時代:江戸時代
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