全日本の観光地へ
郷土出身の作曲家、弘田龍太郎をしのぶ童謡の曲碑が市内の観光スポットに点在。
豪族安芸国虎の城であったが、長宗我部元親が代って支配した。1600(慶長5)年、関ガ原の合戦後は、山内家家老五藤内蔵助為重が城主となる。現在は堀跡に往時の面影が残っている。また、土居廓中と呼ばれる武家屋敷が安芸城跡の外廓に現存する。
白壁、安芸瓦の屋根にひときわ印象的な野良時計の姿。のどかな田園風景と相まって、まるで一幅の絵のようにも見える。ローマ数字の文字盤がハイカラなこの時計は、まだ時計が一般に普及していなかった明治20年、地主の畠中源馬がアメリカ製の八角時計を分解、組み立てて仕組みを学び、分銅や歯車を独学で製作したという手作りの超大作だ。民家なので内部見学は不可。
明治から今日に至る大財閥三菱を築きあげた岩崎弥太郎の生家。200年の風雪に耐えて残る茅葺きの小住宅は、藩政時代の郷士の生活を想像させる。居間に南面する小庭に日本列島を模した石の配置があり、弥太郎の日本を雄飛する夢が今に伝わってくる。
郷土屋敷として当時の遺構をそのまま留めている。庭園は山内公の菩提寺の住職聖静寂の築庭。
内原野公園内にある休憩所。わらぶき屋根で,山内家の家老五藤氏の別荘。
安芸城跡をとりまくようにして、土用竹・ウバメガシの生け垣や玉石塀なとをめぐらした家が立ち並んでいる。山内家家老五藤氏が安芸城跡に居住したころの武家屋敷の名残で、当時は40戸ほどの屋敷があったといわれる。いまも100年以上の歳月を経た家などが残り、往時の面影を伝えている。県の文化財に指定されている。また、平成24年7月には、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された。
安芸市中心街から5kmほど北に進んだ所にある内原野公園は、ツツジの名園として有名である。毎年4月になると、オンツツジを筆頭に、野生種の約1万5000本が花をつける。開花期には、多くの花見客がここを訪れる。また、ツツジの他に、ウメ・サクラ・フジ・アヤメ・ハナショウブなどもみられる。
奥行60mの洞穴の壁面にホウビシダ・ホウライシダなどの珍しいシダ類が群生している。
第3紀層の砂岩が水蝕されてできた洞窟で,内にホウビンタ,ホウライシダなど国の天然記念物でもある暖地性シダが繁茂している。