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健田須賀神社

日本古来の記録集「延喜式」に下総国11社の一つとして記されている延喜式内社で,結城家の氏神でもある古社。

安穏寺

室町時代,結城家8代直光が源翁和尚を招き中興開山した寺。源翁和尚は,那須野ケ原の九尾のキツネが変化した殺生石を法力で済度したとされる。源翁和尚の墓のほか,和尚の用いた数珠や払子,肖像画,多数の古文書などが残されている。

称名寺

結城氏初代朝光が,親鸞に授かった法名「称名寺殿日阿」からこの名が起こったと伝わる。結城氏4代の墓があり,親鸞直筆の往生要集がある。

山川不動尊(大栄寺)

京都の東寺にあったものを、平将門が守本尊として関東に持ち帰ったもので、弘法大師の作と云われている。毎月28日の縁日では,多くの出店と人出で賑わう。

弘経寺

江戸時代に浄土宗名刹として白旗流関東18壇林のひとつに列した寺。寺域が広く,文政年間には10軒の学寮があったといわれる。境内に墓のある郷土俳人・砂岡雁宕をかつてたより結城を訪れた与謝蕪村はこの寺に滞在し,当時描いた襖絵が今も残る。

結城城跡

源頼朝の挙兵に参戦して功あった小山一族の朝光が寿永2年(1183)頃築城、結城合戦ののち、十三代成朝が旧領を回復し、戦国時代、政勝によって有名な分国法「結城家新法度」が完成された。結城秀康の越前転封後は幕府直轄となり、元禄13年(1700)水野勝長が入封、戊辰戦争では官軍に攻略されて破壊した。現在は、空堀、土塁の一部が残存し、付近は城跡公園となっている。◎結城秀康(1574-1607)徳川家康の第2子。1590年下総の結城晴朝の養子となり十万一千石を領す。1600年関ケ原の戦の時に、宇都宮で上杉景勝の軍を抑え、その功により越前国67万石に封ぜられ福井(北庄)城主となる。

結城酒造

安政蔵は酒造業を始めた安政6(1859)年の建築と考えられています。切妻造・瓦葺の長大な建物で、内部は釜場・発酵場・麹枯らし場や広い土間及び畳敷の奥など、近世以来の酒蔵の様子を残しています。貯蔵用の新蔵は慶応年間(1865〜68)の建築と考えられ、切妻造・瓦葺、外壁白漆喰塗で、太い柱を密に立てた堅牢な構造をしており、安政蔵の南西にあります。内部は1階が酒樽の貯蔵、中央部2階が物置となっており、質素な外観ですが、酒造施設として欠かせない建物です。高さ10メートルの煉瓦煙突は、安政蔵の北側にあり、明治36(1903)年の建設と伝わります。安政蔵の釜場と地下の煙道で結ばれており、酒造施設の近代的な工夫を見ることができます。

奥庄見世蔵

店舗は木造2階建の町家形式で、切妻・平入り・桟瓦葺、桁行4間・梁間3間の店舗部分と、その奥に繋がる桁行4間半・梁間3間の座敷部分からなります。店舗部分の東側には間口1間半・2階建の増築部分が隣接しますが、これは昭和18年、2階に陸軍の高官が居住した際のものです。通りに面した店舗部分は、1階を2本の独立柱を建てて全面を引き違いの木製ガラス戸とし、上部に出桁造の小庇を設けています。2階も両端を半間の戸袋として全面を引き違いの木製ガラス窓とします。軒は出桁造で、棟は熨斗瓦積、両端に影盛瓦と鬼瓦が付きます。全体的に建設当時の状態を極めて良く留めていますが、西側側面には鉄板が張られています。内部は1、2階とも保存状態は良好です。外観は1階全面を下屋庇とせず小庇を設けている点で江戸の町家とは異なっていますが、伝統的な町家形式を受け継ぐ近代の木造店舗として貴重な遺構で、内外部とも極めて良く建設時の状態を留めています。

小倉商店見世蔵

店舗は木造2階建、切妻・平入・桟瓦葺、桁行4間・梁間5間、前面に半間の下屋庇を張り出しています。1階正面は、向かって中央右寄り2間に木製の引違いガラス戸と格子戸を建て、右側を半間の戸袋、左側を腰付の格子窓としています。ただし、これは近年の改造によるもので、当初は戸袋を除いて前面を格子戸とし、戸締りは半間奥の揚げ戸を用いていたと考えられます。2階は両端を半間の戸袋として全面を格子窓としています。内部は1階が店舗で、土間と6畳の帳場からなり、その奥に4畳の小部屋を経て8畳の座敷が続きます。拡張された板敷きの帳場以外は、ほぼ建設時の状態を留めています。2階は北寄りに2室の座敷が続きますが、奥の8畳には床と違い棚が設けられています。いずれも保存状態は良好ですが、座敷の南側は改造されています。内外部とも一部に近年の改造・改装の跡がみられるものの、部材は古く、全体として伝統的な商家の雰囲気を良く保っています。

奥順壱の蔵見世蔵

営業時間:10:00〜18:00 休業日:月

建物の造りから明治期に建設されたものと考えられています。現在は喫茶店として利用されています。切妻・平入りの2階建・桟瓦葺で、桁行4間・梁間3間半の前面に4尺弱の下屋庇を設けています。正面外観は、近年までに特に一階部分が大きく改変されていましたが、現在は両端に半間の戸袋を残した前面開放に復元されています。内部は、喫茶室の用途に合わせて床と壁がほぼ全面的に改装されていますが、1階奥の箱階段や2階主室の座敷飾りが当初の面影を留めています。

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