隠津島神社
福島県二本松市木幡字治家49
隠津島神社の発祥は古く、大同年間(806年)に平城天皇の勅願により弁天堂が建立され、神仏混淆の杜となり、以来、「木幡の弁天様」として歴世の国主、藩主、武将、さらには庶民にいたるまで厚い信仰を集め親しまれてきたが、天正13年(1585年)伊達政宗の兵火により、三重塔のみを残し、本社・末社のことごとくが炎上し焼土と化した。現在の本殿・拝殿は二本松藩主丹羽長貴公の命により寛政元年(1789年)造営始めとなり、拝殿は寛政6年(1794年)5月竣工、本殿は12年(1800年)、実に12年もの歳月を要し4月竣功となり遷宮を行った。明治期の神仏分離令による混乱はあったものの「弁天さま」の厚い信仰は今なお続いている。弁天様は、梵天王の妃弁舌知恵の神、また招福・音楽の神として妙音天の名があり、宝冠青衣で琵琶を弾じ容色勝れているとされていることから縁結びの神として信仰されている。