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小高い丘になっており小さな社がある。
築城年代は不明だが、天正のころ大内定綱が居城していた。天正13年(1585)伊達政宗はこの城を攻略して、父輝宗を入れた。その時二本松城主畠山義継が伊達氏に降伏し、宮森城(上館)の輝宗のもとに降伏を許された礼に参上した。その時、突如として輝宗の胸元に刃を突きつけ、驚きあわてる伊達の家臣らを尻目に、二本松城に引き揚げようとした。それを聞いた政宗は、阿武隈河畔で追いつき、父もろとも義継を射殺した。城跡は現在、児童公園になっている。
日山は、標高1,057mで阿武隈高原で大滝根山に次ぐ標高をもつ。その山頂からは安達太良連峰や、太平洋の金華山沖、相馬、いわき近海までも眺望できる。山頂付近には山ツツジの群生地があり、春花が咲く頃になると多くのハイキング客で賑わう。また、山腹にはブナの原生林が広がる。
昭和18年に国の天然記念物に指定された日本有数の大杉。根回り22.5m、目通り10.9m、高さ約50m。樹齢は約600年といわれるが、植物学者からは千年を越えるともいわれている。二本松藩主丹羽光重公が御巡見の折、大杉の見事さに感銘してこの地を杉沢と呼ぶようになったという。
小浜城址の丘の東の屋根の一角に生育する「ヤマナシ」の大木。かつての伊達政宗の家臣、片倉小十郎の屋敷跡に植わっており、地区名にその証を残す。地上3mあたりから幹は数本の巨枝に分かれ、樹冠は4方に13m前後に広がっている。
二本松市・浪江町・葛尾村・田村市・川俣町に囲まれた自然豊かな山。春は山ツツジが美しく、大勢の登山客で賑わう。秋は紅葉と自然景観に恵まれる。10月第2土曜日には、山頂にある3つの社それぞれの勇壮な三匹獅子舞が振舞われる。また、2000年1月10日に山頂から富士山撮影に成功し、「富士山の見えた最北遠の山」として注目を浴びた。
白河の関から国見を結ぶ「奥の細道」428kmの中の峠の一つ。十三仏は平安の末期に地獄・極楽の浄土信仰による追善供養が流行し、この辺りでも行われ、峠の周辺に十三の墳丘が点在する所からこの地名がついた。峠の中程に大きな岩石があり、馬頭観音、庚申塔、出羽三山の石塔と芭蕉の句碑が並んでいる。松尾芭蕉の句「西か東か先づ早苗にも風の音」。
散策路・緑陰広場。
山頂より安達太良山をはるかに望み、眼下に阿武隈川を見おろせる。旧正月の初寅の日、裸神輿が繰り出す「初寅祭」が行われます。
慈覚大師が比叡山延暦寺の直末寺として開基した岩角寺を中心に、全山が名勝天然記念物に指定されています。毎年1月3日には「大梵天祭」が開催されています。