全日本の観光地へ
古くは奥の高野山と称され「常法談林」の格寺。寺宝が多い。宥日上人が中興。宥日上人が高野山の火事を予見し、後に高野山よりお礼の使者が遣わされた伝説が残る。境内には長井市指定天然記念物に登録されている「遍照寺の大イチョウ」がそびえたっており、紅葉の季節には見事な黄金色に染まる。
祭神は天照皇大神。
坂上田村麻呂の創建と伝えられ、末社13社を数える黒獅子の起源が伝わる神社。境内の宝物殿には直江兼続の奉献した刀剣が、そして手植えされたと伝わる9本の「直江杉」が今もなお残っています。
宥日上人が火難消除三祈祷所として創立。不動明王・文殊尊の霊験あらたか。
日本三大黒仁王
野川の洪水対策として国役で築かれた石積みの締切堤防。明治36(1903)年に洪水により、締切堤防の大部分が決壊し、翌年復旧するも旧締切堤防は一部を残すのみとなっている。
昭和20年代に道路工事に伴い、かなり完全な形をした縄文土器が発見された。その後の発掘作業により、縄文中期の初頭後半から中葉前半(5000〜4500年前)のものと推定される住居3棟と大型土器が見つかった。現在の十日町郵便局周辺で出土。
いたるところに散らばる花崗岩の石塊の中で、ひときわ異彩を放つのが「洞雲寺の大石」である。地上に出ている部分だけで長さ5m、高さが3mという、地名になる程の巨石で、平安時代の武将・源義家の馬のひづめの後があるらしい。「市指定天然記念物」に指定されている。そして寺の後ろの藪の中に分け入って行くと「ばくち石」と呼ばれる巨石が姿を現す。斜めにスパっと断ち割られたような不思議な半円形をしている。そして大石から北へ少し進むと「じじ石」「ばば石」と呼ばれる巨石が並んでいる。
標高270mの所にあり、東西300m南北100mに広がる遺跡。昭和50年代の調査で、旧石器時代(17,000年前)から縄文・弥生時代までの遺跡が確認されている。現在は、約4,000年前の縄文中期の住居跡を覆屋(六角堂)により展示、住居跡には竪穴式住居を復元している。
「やませ蔵美術館」は、江戸時代から家業として続いていた紬問屋「山清(やませい)」の、明治時代に建てられた五つの蔵と日本庭園を整備活用した私設美術館です。今回は四つの蔵に長井に縁のある画家の作品などを展示します。長井紬の発展に力を尽くした、六、七代目の竹田清五郎氏が収集した、江戸時代末期からの著名人、文人の書、掛け軸、絵画などの美術コレクションや、長井紬の歴史的資料など貴重な品々も展示しています。