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第119代光格天皇の生母、大江磐代君を祀った神社で、明治13年に創建されました。大江磐代君は、廷享元年(1744)、市内湊町で生まれ、京に上って成子内親王に仕え、内親王が閑院宮典仁親王に嫁いだ時、その待姫となりました。明和8年(1771)、佑宮(光格天皇)ほか三皇子を産み、文化9年(1813)、69歳で没しました。
境内の石造十三重塔と宝塔・宝篋印塔で知られる。
慈覚大師開山の古刹。本尊の本造阿弥陀如来坐像は重要文化財に指定されており、近くには大小様々な五輪石塔が130基以上も林立しており奇観である。また、境内の一角には見事な大イチョウがそびえ立ち、県の天然記念物に指定されている。
開山機堂長応の石塔を中心に多数の石塔が並び室町時代150年間にわたる古文書が残る。
曹洞宗の古い寺で、境内にある県内最大のしだれ桜は、淡紅色で赤味が強く、例年4月初旬には樹齢約140年の華麗な姿が見られます。日光・月光菩薩立像は県保護文化財。
国庁跡は奈良時代から平安時代の役所跡です。法華寺畑遺跡は当初、役所として使用され、後に国分尼寺に転用されたと推定されています。不入岡遺跡は奈良から平安時代に存続し、国庁の前身施設か郡庁、そして後に国府に関連する倉庫に転換されたと考えられています。現在、法華寺畑遺跡と国分寺跡は歴史公園として整備されています。
古代の伯耆国の伯耆国庁に関連する役所と推定。国史跡。古代の四脚門としては最大級のものである西門と板塀を復元した。
6世紀末に構築された直径18m、高さ6mの円墳。山陰最大級の横穴式石室(全長8.3m)をもつ。玄室内の奥壁に密着して遺体を納める石屋形(いしやかた)状の石囲いがあるのが特徴。
天平13年(714年)聖武天皇の発願により全国の国ごとに造営された国立の寺院跡です。寺域約2.9ヘクタール、東西182m、南北160m。主要建物の遺構は、南門、金堂、講堂、塔などがあります。
白鳳時代から奈良時代の寺院跡。東に塔、西に金堂、金堂の北に講堂を配置する。塔の心中を支えた塔心礎は直径2.9m、短経2.9mの山陰地方最大級のものです。