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武田耕雲斎の墓

幕末尊攘派の水戸藩士。1865年水戸藩浪士総大将として敦賀で刑死する。墓は敦賀とここにある。

会沢正志斎の墓(本法寺)

弘道館の初代総教として水戸藩教学の最高指導者

酒門共有墓地

1666年二代藩主徳川光圀が藩士の墓地として設けた。横綱常陸山の墓などがある。

別雷皇太神

神亀元年(724年)、京都の加茂別雷神社の御分祀を当地に祀ったことがはじまりです。佐竹氏、徳川氏の産士神として信仰され、特に雷難消除、武運長久の守護神として仰められてきました。

神応寺

佐竹義宣により、天正19(1951)年に消失していた時宗の本山・藤沢清浄光寺にかわる本山としてつくられました。境内には、山国兵部、田丸稲之衛門の墓があります。

常照寺

水戸藩2代藩主・徳川光圀公が、大徳寺の仰堂和尚を迎えて創建しようとしましたが、二人とも没してしまったので、元禄13(1700)年に敬峯(けいほう)和尚により創建されました。境内の一帯は中世の吉田城跡で、周囲に土塁や空堀が残っています。

清巖寺

常陸国4番観音の札所として信仰を受けていました。境内には延命地蔵堂や観音堂があり、墓地には画家・林十江や水戸藩家老・結城寅寿などの墓があります。

六地蔵寺

創建は寛平3年(891)ごろといわれ、室町時代末期に建てられた四脚門は県指定文化財。水戸藩第2代藩主徳川光圀公(水戸黄門)ゆかりの寺で、境内に残る法宝蔵は光圀公が建立しました。典籍1975冊、文書479通は県指定文化財となっています。墓地には、彰孝館総裁をつとめた立原翠軒や大日本史の完成に力を尽くした栗田寛の墓があります。また、樹齢170年の見事なシダレザクラは、光圀公が鑑賞した桜の子孫といわれており、桜の名所になっています。また、樹齢1100年を越える大杉や800年の大銀杏もあり、静寂な景観がみられます。

信願寺

信願寺の創建は貞永元年(1232)、親鸞聖人の弟子の1人唯信房が開山したのが始まりと伝えられています。唯信房は橘村幡谷城主だった事もあり開山当時は幡谷にありましたが何度か移転を繰り返し延宝9年(1681)、藩命により現在地に移ってきました。本尊の鍍金仏は鎌倉時代に制作されたと推定される仏像で像高46.7cm、銅造、鍍金、長野善光寺本尊を模した善光寺式像の中尊とされ昭和29年に茨城県指定重要文化財に指定されています。信願寺は親鸞二十四輩第二十三番寺として信仰を集めています。

八角堂(佛性寺本堂)

天長年間(824〜834)慈覚大師の創建。貞和5年(1340)比叡山坂本から山王を勧請、本尊大日如来は文安5年(1448)鋳造されました。三十日仏坐像は、1日から30日にいたる小型の脇待仏で、もとは30体あったと思われますが、現在は20体だけが安置されており、本尊とともに茨城県指定の文化財となっています。三十日仏坐像は康正元年(1455)に造られました。また、境内のいちょうは水戸市指定の保存樹であり、平成9年には新たに鐘楼も建立されています。建築様式がめずらしい建物。全国でも珍しい室町時代の雰囲気をもつ建物。

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