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朝田墳墓群

明治維新公園裏の国道9号のトンネル上にあります。ここには弥生時代末期から古墳時代にかけての墳墓40基があります。この墳墓は昭和50年に発掘調査の後、埋め戻しをしていましたが、昭和62年度から復元整備を行い、平成4年5月に木立に囲まれた史跡公園として開園しました。

大村益次郎生誕宅跡

大村益次郎は、文政8年(1825)村医者の子として周防国鋳銭司村に生まれた。のどかな田園の中に残る生家の跡には碑が建っている。

矢原河川公園

矢原河川公園は、山口市ほぼ中央を流れる椹野川中流域の河川敷に作られた公園です。落葉広葉樹が並び緑の草地が続く公園内は、さながらヨーロッパの公園のようです。ゆったりと広がった川幅、遠景には美しい山並みが続き、水面に心が和らぐ公園です。

おとどいやま森林公園

山口市街が一望できる市民の森。いこいの広場や山歩きのできる散策道があります。

鴻ノ峰公園

高嶺城跡の石垣があり、山口市街が展望できます。

正護寺

臨済宗で山号を方松山といいます。この寺は、大内氏の一族右田氏から分れた、弘賢が13世紀末にこの陶の地を領し、地名を氏とし、陶氏を名乗るようになりました。陶弘賢はこの正護寺の前方の台地に屋形を築き、政務をとりました。現在屋形の土塁の一部が残っています。正護寺は延文年間(1356)頃、陶氏2代弘政が開基となり建立した寺です。

源久寺

建久8年(1197)鎌倉幕府から仁保など6ヵ庄の地頭職に任じられた平子重経が、周防に下向し、仁保の地に居館を築き、政務を執っていました。重経は正治元年(1199)将軍源頼朝の死によって、その菩提を弔うためにこの寺を建立したものです。寺号は源家の永久安泰繁栄を願い、仁楽山源久寺と名づけたといわれています。寺には寺宝として阿弥陀如来像、平子重経像、仁保弘有画像、三浦家伝来の兜などが伝わっています。

広沢寺

山号は万年山、曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。この寺は大内氏26代盛見の子教幸の菩提寺で、文明年間(1470頃)の創建です。はじめ山口古熊にありましたが、明治3年現在の地に移ってきました。

大林寺

曹洞宗で、山号は岩戸山、創建はわかりませんが、江戸時代領主であった宍道就判が元禄6年(1693)再建し、大林寺と寺号が改められました。

乗福寺

乗福寺は臨済宗の古寺で、大内氏22代重弘が開いたお寺です。元応2年(1320)3月6日重弘が死亡したため、本寺に葬り菩提寺となりました。寺運の盛んな時は、塔頭36字、末寺88箇所あったといわれますが、大内氏滅亡とともに衰廃しました。今の寺は塔頭の正寿院を転じて本寺としたものです。火災などで幾多の寺宝が失われましたが、乗福寺文書や乗福寺伽藍図など伝わっています。

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