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石清水八幡宮三ノ鳥居

男山山頂にある神馬舎前の三ノ鳥居は、南北朝が統一まもない応永7年(1400)7月16日に建てられた。それから約200年間、鳥居は大木を用い、朱塗りにし、金で飾られ、非常に美しかったようだ。正保2年(1645)正月に石造りに改められ、松花堂昭乗の門人、法童坊孝以の筆によって、源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文が記されたが、鳥居は安永3年(1774)の台風で倒れ、その後、安永7年(1778)5月に修復された。現在の鳥居は、昭和36年(1961)の第二室戸台風で再び倒壊し、翌年12月に再建されたものである。

洞ケ峠

秀吉と光秀が天王山で戦ったとき、筒井順慶が洞ケ峠から様子をうかがった末、優勢な秀吉側に付いたという。このことから日和見することを「洞ケ峠を決め込む」と言う言葉が生まれた。

頼風塚

八幡市民図書館に近い、民家の裏にあり、女郎花塚の女塚に対して男塚ともいう。平安時代の悲恋の伝説を伝える。

女郎花塚

女郎花塚は別名”女塚”ともいい、松花堂庭園内にある。平安時代の悲恋の伝説は謡曲にもなっている。

石清水社

石清水社境内へ導く石段が8段、その石段下両脇に石灯籠が一対、上りきった所に堂々たる石造鳥居が建っており、鳥居の両側に石柵が繋がっています。鳥居をくぐると、地面は六畳敷ほどの石畳、左に石灯籠が前後二列に四基、正面に石枠に囲まれた石清水井とこれを覆う泉殿、右に90度目を転ずれば、南面する石清水社神殿へ上がる急な石段、その右下に一基、左下に三基の石灯籠が立っています。泉殿の左側(南)と後方(西)には、ゴツゴツとした岩の斜面が迫り、その黒く濡れた岩肌は、石清水社神殿の西側にそのまま壁をなして連なっています。

護国寺跡

八幡宮の鎮座する男山の山中には、神宮寺である護国寺や堂舎僧坊が軒を連ね、神前では僧による読経がなされる仏式の祭礼が明治維新まで行われていた。

大扉稲荷社

「大扉稲荷社」が現在の場所に鎮座したのは、『男山考古録』によると、文政12年(1829)のことです。当時、富くじが流行し、ここへ参るとよく当たると信者を増やし、信者の寄進で建立になりました。祭神はお告げにより相槌稲荷の子、登毘良明神と知らされたと伝えられています。

八角堂

その他:現在、老朽が著しく立入禁止

西車塚古墳上に建つ八角形をした珍しい建物。元は石清水八幡宮が鎮座する男山山上に健保年間(1213〜1219年)、順徳天皇の御願により、八幡宮検校善法寺祐清が建立したが、明治の神仏分離でこの地に移された。現在の建物は慶長12年(1607年)豊臣秀頼の寄進のより再建された。

三川合流点

桂川,木津川,宇治川が合流して淀川となる

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