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鎮国守国神社

天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていましたが、明治40年(1907)本丸跡の現在地に移りました。大正8年(1919)に現拝殿が完成、昭和9年(1934)に楽翁公百年祭記念宝物館が完成しました。戦災を免れたので、拝殿・社務所など戦前の姿を残しています。境内には楽翁歌碑があります。毎年5月2日・3日には例祭の金魚祭が行なわれ、金魚みこしや屋台で大変な賑わいです。

十念寺

稚児練りや七福神の市内練りが行なわれ、福豆・福餅投げなどが行われる。「七福神まつり」で知られる。

照源寺

寛永元年(1624)桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建しました。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続しました。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。境内には定綱が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります。

海蔵寺

宝暦3年(1753)に幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5年工事は完成されたましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています。

北大手橋

揖斐川に面する川口樋門から南大手橋に至る三之丸掘の石垣約500mが現存する城壁であり、江戸時代に思いをはせることができる。

七里の渡跡

熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として大賑わいを見せていました。ここにある大鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

桑名城址(九華公園)

揖斐川河口付近にある。1601(慶長16年)年本多忠勝が10年を要して築城した。のちに代々松平氏の居城となり,5代目藩主定綱の時城郭が完成した。封地がほぼ正方形で東の一辺だけ湾曲していたので,扇城と呼ばれた。明治維新後城郭は破壊され,現在は九華公園と名を変えて,桜・ツツジ・菖蒲の名所になっている。一角に松平定信・定綱を祭る鎮国守国神社があり,楽翁公百年祭記念宝物館には2人の遺品を保存している。◎松平定敬(1846年-1908年)高須藩主松平義建の子として江戸出生。桑名藩主として兄容保と共に佐幕運動に挺身。鳥羽・伏見の戦いに敗れ,津藩知事に永預り。晩年は日光東照宮宮司となり,波乱の生涯を終った。◎本多忠政(1575年-1631年)徳川家康に仕え,1590年の小田原の役に16歳で初陣,父忠勝とともに岩槻城を攻める。関ケ原の戦では徳川秀忠に従い真田氏を攻撃した。

長島水辺のやすらぎパーク

営業:火水木金土日9:00〜16:30 休業:月祝日のときは翌日、年末年始

周辺には光岳寺、長島城址、旧東海道、願證寺、なばなの里など史跡観光施設が隣接しています。

六華苑

公開:9:00〜17:00但し入苑は午後4時まで 休業:月曜日,祝日の翌日,年末年始

ジョサイア・コンドルの設計により,木造2階建で4階建の塔屋をもつ。庭園の一部は国の名勝にも指定されている。

九華公園の桜,つつじ,花菖蒲

木曽川とともに伊勢湾に流れ込む揖斐川,長良川,その河口近くのほとりに九華公園はある。園内には,伊勢系,熊本系などの花菖蒲が色とりどりの花を咲かせる他,550本のつつじと450本もの桜が四季折々の美しさを見せてくれる。

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