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鍵屋ノ辻

荒木又右衛門で有名な日本三大仇討・伊賀越仇討の場。資料館がある。

百地砦跡

伊賀忍者の指導者を上忍といい,千賀地(服部)半蔵、百地丹波守三太夫、藤林長門守が有名であるが、百地氏の祖は百地丹波泰光といい、喰代の土豪で、ここに砦を設けた。名張市竜口には百地丹波正西の百地屋敷がある。

御墓山古墳

敢国神社の祭神大彦命の墳墓といわれる三重県最大の前方後円墳。全長約188mある。表面全体に葺き石が見られる。

上野城

公開:9:00〜17:00入場16:45まで 休業:12月29日〜12月31日年末

天正13年(1585年)筒井定次が上野城を創築、三層の天守を築いた。現在に残る城址は慶長13年(1608年)入封した藤堂高虎の築城になる。大坂の豊臣方に備えての築城といわれ,五層の天守まで構えたが,天守は大暴風で倒壊し、以後は天守を持たぬままの城となった。藤堂氏の本城が津に移るとその属城となり、代々城代が置かれて明治に至る。平山城で、別名白鳳城。現在の天守は故川崎克氏が昭和10年に再建したもので天守閣を中心にした一帯は公園で,芭蕉翁記念館や俳聖殿・伊賀忍者博物館などが点在している。◎筒井定次(1562年-1615年)安土桃山・江戸前期の武将・キリシタン大名。織田信長の寵遇をうけ明智光秀の三女を養女として配された。後豊臣秀吉の殊遇をうけ伊賀上野に移り20万石を領したが,徳川の時代になると,キリシタン大名としての処断であったのか,改易配流され、子の順定とともに死を命ぜられ、家は断絶した。◎藤堂高虎(1556年-1630年)近江の人,藤堂虎高の子。豊臣秀吉により伊予七万石を与えられた。関ケ原の戦では東軍につき、さらに大坂の陣の功績により,伊勢・伊賀三二万石の大守として津入府。子孫は歴代あい伝え,幕末に至った。

上野高校校舎

明治期の旧制中学校建築として現存する数少ない建物の1つ。現在も使用されている。

蓑虫庵

公開:8:30〜17:00入場受付16:30まで 休業:12月29日〜1月3日

芭蕉門弟服部土芳の住居で芭蕉五庵の一つ。もっとも原形に近く保存された江戸時代の典型的な庵。芭蕉が庵開きに贈った「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」の句にちなんで名付けられた。

芭蕉翁生家

公開:8:30〜17:00入場受付は16:30で終了 休業:12月29日〜1月3日展示替え不定期

芭蕉生誕の家で釣月軒などほぼ昔の姿で残っている。

俳聖殿

昭和17年、芭蕉翁生誕300年を記念して建設された聖堂。芭蕉翁の旅姿をあらわしており、桧皮葺の丸い屋根は旅笠、下の八角形は袈裟、桂は杖を「俳聖殿」の木額は顔を表現している。内部の芭蕉翁坐像は伊賀焼き。

旧崇廣堂

公開:9:00〜16:30 休業:12月29日〜1月3日

かつての藩校。武技諸校舎の表門,玄関,講堂など残る。扁額「崇廣堂」は,米沢藩主,上杉治憲(鷹山)の筆である。

岩倉峡

渓谷美。秋には紅葉がすばらしい。キャンプ場が併設している。

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