中山信吉の墓
埼玉県飯能市大字中山字上町520
中山信吉は天正4年勘解由家範の次男に生まれ、父の死後招かれて家康の近侍を勤めました。旗本として将軍の信任厚く、水戸初代頼房のお守り役を託されました。その後功労が認められ政治に参画、家老の筆頭に累進し、2万石余の備前守に就任しました。信吉は旗本中からも信頼され、意見のほとんどが徳川幕府に用いられたといいます。水戸二代に光圀を推したことは有名な話です。寛永19年正月6日病気で他界。墓は3年忌に子の信正が信吉の出身地である中山の菩提寺智観寺に営んだもので、高さ4mの盛土に石造の宝篋印塔が置かれています。