全日本の観光地へ
四万十川河口部の高台に位置し、太平洋に突き出した大パノラマが目に飛び込んできます。丘を下れば砂浜が広がり、海水浴やフィッシング、サーフィンも楽しめます。
幸徳秋水、名は伝次郎。明治4(1871)年に中村の豪商、俵屋に生まれました。幼少から秀才といわれ、明治20(1887)年に上京、林有造の書生となり、やがて、中江兆民に師事、万朝報社などの新聞記者として活躍しました。以降も社会主義運動に挺身し、『社会主義神髄』等数多くの著書を残しています。明治44年(1911)年、いわゆる大逆事件の首謀者とみなされ、死刑に処せられました。現在も命日にはこの地で墓前祭が行われます。
土佐一條氏の祖となった前関白一條教房の墓で、1480年10月5日58歳で亡くなりました。墓は市内の西北、奥御前谷にあります。
安並水車の里には15基の水車が回っており、紫陽花が咲く6月頃には観光客も多く訪れる。土佐藩山内家の家老野中兼山が手がけた土木事業の一つが市街地北部の田園で見られます。
一條家が使ったと伝えられる7つの井戸の内、現存する唯一の井戸で、女官、侍女たちがお化粧のために使用したので、こう呼ばれるようになったと伝えられています。
世界初のトンボ保護区として整備され、四季の花々が咲く園内をトンボが飛び交います。特に5月から10月にかけて睡蓮の花が3,000輪咲き誇ります。
城跡公園で,天守閣のかたちをした幡多郷土資料館が建っている。
四万十市東山の一角にある石見寺山には、四国ミニ88ヶ所の石仏が設置されたハイキングコースが整備されています。登山口から山頂まで約2,272mの間には、一条氏時代には京の比叡山延暦寺に模して鎮守の寺とした石見寺があり、コース沿いには、木漏れ日の日差しの中、石仏も88体設置されています。また、山頂には展望台も設置されており、四万十市街地から太平洋へとそそぐ四万十川や、西は宿毛湾、北は四国山地の山々を望むことができます。
一條房家が国司として中村に下った時、京の石清水八幡宮を勧請し、創建。構造、形式は当時の様子を伝え、本殿は三間社流造りで国の重要文化財に指定されています。
文久2年(1862)、中村御所跡の一部である一條家御廟所跡に、中村の文化・経済の発展に尽くした土佐一条氏の遺徳を偲ぶ郡民によって建立された神社です。「いちじょこさん」と呼ばれ、毎年11月に行れています。境内には、藤見の御所跡や化粧の井戸など一條氏ゆかりの旧跡が残されています。夏は全日本女郎ぐも相撲大会が行われる。