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普門院境内にある。上杉鷹山公が師細井平洲先生の米沢訪問に際し自ら迎えに出られた敬師の美談を伝えるべく建てられたもの。境内にある「一字一涙の碑」は大正4年に建てられたもので「之を読めば一字一涙、人をして慨焉として往日を憶わしむ」から取ったものです。
米沢三名園のひとつ。東京の浜離宮に倣って造園された。上杉伯爵邸はかつて鶴鳴館といわれ皇族の御宿所ともなったとか、現在文化庁により登録有形文化財に登録されています。
米沢三名園のひとつ。京都の天竜寺の名園に擬して築庭された。これは素晴らしい。かなり広い庭園内は樹木が多く、文殊堂、聖堂、鎮守堂、万年塔などが点在している。誰でも自由に出入りできるが、苔むした石橋を中心に自然がいっぱいの庭園が伸びやかで好ましい。
米沢三名園のひとつ。斜平山を借景とした庭園。その庭園は越後春日山麓のごとく、四方の斜面を借景とした雄大なつくり。「不識庵」と名乗っ謙信の美意識を庭園がまた伝える。
米沢藩中興の名君上杉鷹山を祀る。のち上杉景勝、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を配祀。4月と9月に例祭が行われる。明治35年上杉神社の摂社として二の丸世子御殿跡の創建。米沢市」とあります。松岬神社は米沢城の二の丸に鎮座し、あまり目立たないのですが庭園など境内はよく整備されています。
蘭医堀内素堂の墓や虚空蔵菩薩・十六羅漢・達麿大師の版画がある。館山寺に伝わる虚空藏菩薩は館山城に安置されていた秘仏で藤原経衡が寄進したものとされます。前座仏である虚空藏菩薩は伊達政宗が中国霊山から勧請したもので両尊ともに智能財宝に御利益があると古来より信仰の対象となっています。
上杉家歴代藩主の菩提寺。善光寺如来尊、謙信の守本尊、泥足毘沙門天を祀る。小野川温泉の金乗院は、明暦に上杉の認可のもとに創建されたもので、おそらく火事があったもので、伊達時代の寺が焼けたのでしょう。法音寺と縁寺になっています。
上杉謙信以下歴代城主の祈願所、謙信の守り本尊である刀八毘沙門天を祀り、戦勝を祈願した。上杉まつり武てい式の前には必ず立ち寄ることになってるので千勝院への参拝は上杉まつりの成功を願うとともに当地におけるご先祖への尊敬の意味を込めているものと思われます
越後高田長尾家の菩提を上杉景勝が遷座したもの。上杉氏奥方及び支侯の墓所。直江兼続・武田信玄六男信清等、名家の墓がある。
景勝が開基し、直江兼続が学問修業道場として禅林寺を創建。禅林文庫と称し、藩学の基が築かれた。のち、綱勝が境内に文殊堂を建立。1690年寺号を法泉寺と改める。京都の天竜寺に擬して築造した庭園は、米沢三名園のひとつに数えられる。