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江戸屋横町

黒板塀の風情ある横町。萩城下町の町筋は碁盤目状に区画され、中・下級の武家屋敷が軒を連ねていた。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめている。東西にのびる表通りの御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から南へ入る3つの横町には、それぞれの名が残されている。江戸屋横町には維新の三傑の一人である木戸孝允の旧宅や、蘭方医、青木周弼の旧宅、高杉晋作・伊藤博文ゆかりの円政寺などが並ぶ。

鍵曲

鍵曲は鍵の手に曲がった通路で、戦いの際見通しを悪くして防御しやすくしたもの。堀内地区・追い回し筋、平安古地区・大児玉横丁にある。城下町特有の街路の姿をそのままに残している。

萩城下町夏みかんのかおり

萩の町を彩る黄金色の夏みかんを地元の人々は「橙(だいだい)」と呼んでいます。白い花が咲く5月には町全体が甘い香りに包まれ、どこか懐かしい萩独特の雰囲気を醸し出しています。平成13年に環境省が選定した「かおり風景100選」にも選ばれています。平安古伝建地区の一角にオープンしたかんきつ公園では、萩で栽培されている夏みかん・甘夏・橙などを目近に見ることができます。

萩市浜崎伝統的建造物群保存地区

選定地区は、萩城城下町の北東端、松本川の河口に位置した在方支配の港町で、本町筋の町並みは「吹上(ふきあげ)」と呼ばれる尾根筋から海に向かって、湾曲しつつ緩やかに下る道筋を中心とした約10.3haです。江戸期から明治・大正・昭和前期にかけて建てられた町屋が100棟以上現存し、真壁造平入りを基本形式としながら、多様性に富む意匠が展開する点が特色をなし、これらと一体となる工作物・環境物件も数多く残されています。道筋もそのまま残され、地割も大きな変化が見られず、歴史的風致を色濃く伝えつつ町並みは現在に至っています。

萩市平安古地区伝統的建造物群保存地区

選定地区は橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲で、藩政期の地割りをよく残しています。かつて重臣の多くは三の丸に住んでいたが、平安古・江向・土原方面の開墾が進むにつれて武家住宅も増えていきました。現在、この地域には、毛利一門の右田毛利家(16,000石余)の下屋敷をはじめ、寄組児玉家(3,084石)、粟屋家(691石余)や大組町田家(66石)などの屋敷跡が今も往時の面影を残しています。特に、幕末藩政に活躍した坪井九右衛門(157石)の旧宅は、長屋門付近から土蔵・本邸の式台・庭まわりなどによく旧状を残しています。また、この地域には左右を高い土塀で囲み、見通しのきかない「鍵曲」といわれる鍵手形道路が残っています。

萩市堀内地区伝統的建造物群保存地区

選定地区は旧萩城三の丸地域で、堀内といわれる広さ東西9丁余(約990m)、南北6丁余(約660m)の約77.4haです。藩政時代、藩の諸役所(御蔵元・御木屋・諸郡御用屋敷・御膳夫所・御徒士所)や毛利一門、永代家老、寄組といった重臣たちの邸宅が建ち並んでいました。現存の建物としては、永代家老益田家(12,000石)の物見矢倉、旧周布家(1,530石)の長屋門、繁沢家(1,094石)の長屋門、永代家老福原家(11,300石余)の屋敷門、口羽家(1,018石)表門と主屋等がよく旧態をとどめています。明治以降、士族救済のために広大な屋敷跡に植栽された夏みかんが、これら長屋門や土塀などと一体をなし、歴史的風致を残しています。

萩城城下町

1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来、260年間にわたって36万石の城下町として栄えた萩市は日本有数の史跡都市。重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。

道の駅「萩しーまーと」/河津桜

萩しーまーとの駐車場すぐそばの広場に、約150本の桜があります。

長門峡/もみじ

竜宮淵高島北海が私財を投じて整備した遊歩道からは、広葉樹の黄色と紅葉の燃えるような赤色が視界に広がり思わず足を止めます。

春日神社/さくら

重要伝統建造物群保存地区である堀内地区の一角にある春日神社は、奈良市の春日大社が本社で、県北部有数の古社です。神社前の道には桜並木があります。

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