全日本の観光地へ
定休日:休日1月1日、毎週火曜日
開設:通年
イルカパークのある串山半島の先端、串山海水浴場に隣接するキャンプ場。トイレ、シャワー、炊事場などの設備が整っている。快適なキャンプを1年中とおして楽しめる。
俳人芭蕉門下10哲の1人として有名で奥の細道の旅に随行した曽良。巡国使の一員として壱岐に渡り,勝本浦の中藤家で宝永7年5月22日没す。墓は勝本町能満寺にある。城山公園の一角「春にわれ乞食やめても筑紫かな」との句碑が残っている。
明和4年(1767年)土肥家4代市兵衛(八右衛門)が新築した別邸、御茶屋屋敷の塀である。勝本の土肥家は捕鯨業を経営して巨万の利を得て、多数の金品を国主に納め、当時日本の鴻ノ池,三井と並ぶ大富豪に数えられた。「浜の真砂はつきても、土肥の金はつきない」とまで言われ贅沢の限りを尽くした。
勝本浦には毎朝午前8時を過ぎた頃から勝本浦の商店街の店先に、近所の人々の市が立つ。自家製の農産物の店と、小魚や干物など海産物の店に分かれている。江戸時代から続く勝本の朝市。毎年11月の第一日曜日には「勝本朝市まつり」が開催され、勝本朝市フェスタという愛称で島民に親しまれている。
豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に命じて築城させた城山城跡地。勝本城は海抜78.9mの山頂部に築城。一の門と二の門の間にあった枡形と、その左右の石垣が残っている。国指定史跡。周辺は整備され、蕉門十哲の一人であった河合曽良の句碑などもある。城跡からは勝本の港、3つの無人島が一望できる。
境内に県天然記念物のモクセイがある。
元寇の役で一族諸共自害した守護代平景隆公を祀る。壱岐の守護代、平景隆の本陣。樋詰城跡にある。
神功皇后三韓征討にまつわる行宮の地で皇后を祀る。創建時期は奈良時代と言われている。門は文禄の役の時に加藤清正によって寄進された。のどかな牛の石像は名工山内利兵衛の作。また、神社所蔵の茶壺は「天正20年」(1592)の古唐津焼で、口が欠けているものの学術研究上大変貴重なもの。秋には、聖母宮大祭が行われる。
豊臣秀吉が朝鮮出陣にさいし,名護屋城と結ぶ兵站基地の一つとして,松浦鎮信に築かせたものである。城は港湾を眼下にして,対馬を望める位置にあり,現在,一帯は公園になっている。頂にこの地で没した俳人曽良の「春にわれ乞食やめても筑紫かな」の句碑がある。別名を武末城ともいう。