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産直市場元気村

営業時間:9:00〜19:0011月〜3月は18:00まで1月1日〜1月3日は定休日

約130名の地元生産者が作る農産物を中心に漬物、手づくりパン、惣菜、水産加工品など豊富に取り揃えられています。「バナナ等輸入農産物は一切扱っておりません」と入口に掲示されています。季節がら地元で生産できない農産物は各地より仕入れていますが、国産品に限定しています

水海道ゴルフクラブ

定休日:休日毎週月曜日、1月1日、12月31日

5名乗りのカート利用可。法人と個人会員を募集しております。会員預託金の7割限度でゴルフ場の利用金額に充当できるデポジット制を導入致しました。

法性寺

観音山大悲院法性寺は、永徳二年(1382)了誉聖冏上人によって開基された浄土宗の寺である。聖冏上人は、南北朝時代の応安5年(1372)に現在地西方の観音堂に「横曽根談所(講義所)」。を開設し、浄土宗の講義を行ったといわれる。観音堂での十年にわたる浄土教教理確立の後、永徳二年現在の地に法性寺を開創した。聖冏上人は、浄土宗第七祖(法然上人から数えて七代目の継承者)で、浄土宗の宗風を顕揚し、教団としての基礎を固めた日本宗教史上重要な人物である。岩瀬城(旧、大宮町)城主白石志摩守の長男として生まれた聖冏上人は、戦乱による落城の折に受けた眉間の刀傷から新月のような光を放っていたと伝えられており、故に「三日月上人」とも呼ばれている。上人の高弟に増上寺を建てた聖聡(しょうそう)上人、また聖聡上人の門弟には飯沼弘経寺を開いた嘆誉良肇(だんよりょうちょう)上人などがいる。聖冏上人が、下総を布教中、女人の死霊が現われ「お産で命を失ったが成仏できずに苦しんでいる。どうか供養してほしい」との懇願を受けた「因縁浅からず」と祈願したのが本尊の如意輪観音(にょいりんかんのん)であった。この後、法性寺は子育て・安産の守り本尊として信仰されるようになり、「横曽根の観音さま」の名で親しまれて多くの信仰を集めてきた。現在も安産祈願の人々が後を絶たず、「安産御腹帯授与」を行っている。かつて、法性寺を中心にした観音講(かんのんこう)・三日月講(みかずきこう)が催されたが、現在は各集落ごとに女性の集いとして脈々と引き継がれている。本尊の「木造如意観音坐像」は、南北朝時代の特徴を備えた応安5年正月の作(像内に年紀・作者名・願主名の墨書)で、昭和62年に市指定、そして平成7年に県指定の文化財となった。また、画幅「絹本着色聖冏像(けんぽんちゃくしょくしょうげいぞう)」は、三日月を額に表した聖冏上人の姿を精緻な表現で描いた江戸時代前半の作といわれるもので、昭和62年に市指定の文化財となっている。

常光寺

常総市若宮戸にある常光寺の山門には左甚五郎の作といわれる竜の彫刻がある。寺伝では1309年(元応1)の開基と伝えられるが、火災などによって古文書を焼失し詳細は不明となっている。1964年(昭和39年)には本堂と庫裏の再建と梵鐘(ぼんしょう)の再鋳が行われた。境内には阿弥陀(あみだ)三尊像や一遍の木像を安置する本堂のほか、観音堂・熊野権現などがある。また、火災を免れた山門には、日光東照宮の「眠り猫」などの彫刻で知られる江戸前期の名工・左甚五郎の竜の彫刻がある。伝説によるとこの竜は夜ごと寺の西側にある常光寺沼に水を飲みに出掛け、その勢いで付近の田畑を荒らすので、住職が供養を行い竜の瞳に5寸くぎを打ちつけた。以後”目つぶしの竜”となり、門からでることがなくなったという。

水海道風土博物館坂野家住宅

受付時間:4月〜10月9:00〜17:00開館は18:00まで 受付時間:11月〜3月9:00〜16:00開館は17:00まで 休館日:月祝日の場合は翌日 休館日:年末年始<b

坂野家住宅は「四間取り」を基調に江戸時代後期に母屋を大幅に増築したもので、東側の土間や南面する客間は、入母屋作りの屋根とともに大型農家の特色をよくあらわしています。また、1ヘクタールに及ぶ広大な屋敷は、従来武家屋敷といわれる薬医門と土塀に囲まれています。昭和43年に国の重要文化財の指定を受けました。現在は水海道風土博物館として一般開放しております。また、映画やドラマのロケ地としてもたびたび使われています。

ザ・ゴルフクラブ竜ヶ崎

定休日:年中無休(指定休日あり)

龍ヶ崎カントリー倶楽部

定休日:休日毎週月曜日、12月31日、1月1日

小倉商店郷土館

開館時間:月火水木金8:30〜17:00 開館時間:日土祝9:30〜17:00

結城紬関係資料、織りの実演、反物の展示。織り染め体験。織り・染め体験有料1時間2,100円から。

結城朝光の墓

結城家初代朝光は,隣国小山政光の子で武将。源頼朝に信任され、奥州征伐の際に従軍・活躍しほうびとしてもらった平泉の莫大な財宝は,結城家埋蔵金伝説として日本三大埋蔵金伝説のひとつとなっている。頼朝没後も梶原景時追放など政治的手腕によって幕府を支えた。なお,この多宝塔は朝光から時広までの供養塔ではないかと考えられている。

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