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山鹿素行生誕の地

見学時間:見学自由

山鹿流兵学の祖、素行は江戸初期に蒲生忠郷の家老町野邸で生まれ、素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰ることを主張し、武士道を政治哲学まで高めた。時の会津藩主保科正之は、朱子学批判の罪で素行を赤穂浅野家に配流下した。素行の教えは武士社会に大きな影響をあたえ、忠臣蔵の大石内蔵助ら赤穂藩士、幕末の吉田松陰も山鹿流を学んだ。東郷平八郎元帥筆の碑が立つ。

田中玄宰の墓

拝観時間:拝観自由

藩校日新館の創設者。鶴ケ城と日新館の見える小田山山頂に建っている。

西軍墓地

拝観時間:拝観自由

戊辰戦争で、会津へ来攻した西軍の戦死者の墓が、大町の東明寺墓地にある。全部で150名の墓標が、柵をめぐらした墓域に眠っている。薩摩や長州の墓は土佐や肥前に比べ格下げしてある点が興味深い。

背あぶり山公園

営業:4月下旬〜11月下旬冬季県道閉鎖のため

羽黒山の麓に開けた東山温泉。羽黒山のさらに奥に、標高835mの背あぶり山がつづく。頂上は公園になっており、展望台、レストハウス、キャンプ場、フィールドアスレチック・冒険の森などがある。展望台からは会津若松市内はもちろん、猪苗代湖、磐梯山、飯豊[いいで]連峰など360度の視界が開ける。冬期は閉山。

鶴ヶ城公園

鶴ヶ城を中心に広がる3720平方mの公園。城は、葦名氏七代直盛が至徳元年(1384)黒川城を築いたのが発祥。天正17年(1589)伊達政宗が葦名義広を追って会津を領するが、翌年豊臣秀吉に召し上げられ蒲生氏郷が入封、黒川城を大改修して鶴ヶ城と改称、城下を若松と名づける。その後、上杉、ふたたび蒲生、加藤氏と代わり寛永20年(1643)保科正之が入城、三代正容のとき松平氏を称し、子孫相ついで九代容保のとき戊辰戦争を迎える。現在の天守閣は昭和40年の再建。平成16年3月には天守閣内部がリニューアルされ、会津の歴史を「学び、遊び、体験」できる「お城ミュージアム」として好評を博している。平成23年春には赤瓦への葺き替えが完成し幕末の鶴ヶ城の姿が蘇った。

白露庭

見学時間:見学自由

会津藩家老内藤介右衛門の屋敷跡に残る遠州流庭園で、戊辰戦争の降伏式はこの庭園の前で行われた。

御薬園(会津松平氏庭園)

開園時間:8:30〜17:00入場締切16:30

室町時代の領主・葦名盛久が霊泉の湧き出たこの地に別荘を建てたのがはじまりといわれている。保科氏が会津藩主となった時に保養所となった当地では、庭の一部で朝鮮人参をはじめとする薬草を栽培したため「御薬園」という呼び名で親しまれている。作庭家の目黒浄定を幕府から招いて庭園の形を整え、大名の私園として個性的な趣となっている。池の奥右手には雄滝、左に雌滝を落とし、石組も添景物も控え目に配して、簡素な中に温かさのある好感の持てる庭である。

日本基督教団若松栄町教会

会津の中心的な教会。明治27年9月に教会が設立し、明治44年に現在の会堂が建てられた。野口清作(野口英世)もここで洗礼を受けています。

阿弥陀寺

戊辰戦争、西南の役の戦死者の霊を弔う。新選組三番隊組長斎藤一の墓もある。境内には元鶴ヶ城本丸にあった御三階も移されてある。

妙国寺

戊辰戦争で自刃した白虎隊の遺体を仮埋葬した。

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