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大洞院は、全国に3,400もの末寺をもつ名刹で、境内には開山以来消えたことのない「消えずの灯明」など、数々の伝説があり「伝説の寺」とも呼ばれています。門前に清水次郎長28人衆の「森の石松」の墓があります。
遠江一の宮で1450年もの歴史をもつ。老杉繁る参道や境内はまさに「古代の森」の名にふさわしい荘厳な雰囲気。初詣には県内外から多くの人で賑わいます。花処としても有名。
武藤刑部丞氏定によって築かれ、元亀3年(1572年)、徳川勢によって落城した。
永禄12年(1569)山内山城守が城主の時、徳川家康に攻められて、山内氏は家康の臣下になったが、元亀3年(1572)武田信玄の攻撃を受け、山城守は戦わずして降伏した。家康は翌天正元年3月、再度兵を率いて天方城を攻撃、3日間にわたる攻防戦の末、落城させた。現在は公園として整備されている。
友田家は、平家の落人としてこの地に移って以来の旧家で、代々庄屋を務めた家柄でした。間取りは「片喰い違い型」で、関西の町屋建築に多い「前座敷三間取り型」が発達したものといわれています。県下最古の住宅。
この町には、東海道から北上して秋葉山に向かう秋葉街道の宿場町が置かれた。この街道は、遠州と信州とを結ぶ重要なルートで主に塩や魚などの産物の輸送として、また秋葉神社へ諸国から集まる参詣者などで大変にぎわった。城下の町並みは、中世のころ、山内氏の居城があった城山の西側、太田川に沿って形成された。町家の町並みが残っており、のこぎりの刀のような建て方の家並は珍しい。
今から約160年ほど前に、松本治郎という人が、太田川の洪水で漂流していた柿の苗木を庭に植えたのが始まり。形は四角ばっていて、味は非常に甘く、毎年皇室にも献上されています。原木は今でもあり、大切に保存されています。
日本三大ききょう寺の1つ、香勝寺には15種約4万株のききょうが咲く。
境内から裏山にかけて1万3千本のあじさいが花をつける。
40アールの花しょうぶ園に約130種類・40万本の花が咲く。