棚倉城跡
福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字城跡
歴史元和元年(1622年)、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、寛永4年(1627年)に完成しました。慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」とも言われています。土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六元帥終焉の碑などがあります。また、西側外堀跡には約160mにわたり石垣が残っています。桜春にはお濠の内外に植えられた約500本の桜が咲きほころびます。(例年、4月中旬頃が開花時期です。)棚倉城桜まつり4月中旬、桜の開花にあわせ、「十万石棚倉城まつり」が行われます。武者行列が町内を巡り、城跡広場には地元の出店が並びます。紅葉秋には土塁のもみじがお濠に映え、美しい景色を堪能できます。また、追手門の跡付近の樹齢600余年の大ケヤキは、棚倉のシンボルとして歴史を受け継いでいます。