全日本の観光地へ
武蔵・小次郎決闘の島、巌流島にあるコンサートなどに利用されるステージを備えた開放的なスペース。島内には、この広場を中心に、散策道と4箇所の休憩所が整備されています。
もともと長府の国分寺跡にあったものを、明治23年(1890)に廃寺となっていた大隆寺後の現在地へ移転したものです。昭和20年の空襲で、本堂などの建物は焼失したが、寺宝である「絹本着色十二天曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくじゅうにてんまんだらず)」と「木造不動明王立像」(ともに重要文化財)は、奈良に疎開していて無事残されています。境内には、地蔵堂、不動堂の他、油をかけて願をかける「油かけ大黒」や正一位稲荷神社などもあります。
仁馬山古墳は、全長74mの前方後円墳です。後円部は直径46m、3段築成で、ほぼ原形を保っています。下関市街の北方、響灘に注ぐ綾羅木川右岸の台地上にあり、台地の南縁に沿って前方部を西に向けた長門地方最大の前方後円墳です。
梶栗浜遺跡は、下関市安岡梶栗浜にある弥生時代の墓地遺跡。発掘調査により、ここから鏡、銅剣、土器などの遺物が出土したが、そのうちの青銅器は、我が国の遺跡から発見された例が少ない朝鮮古代のものであることがわかっています。出土品は、下関市立考古博物館に保管されています。<br>
平安中期から南北朝時代にかけてこの地を領した豪族豊田氏の長正司城跡。木屋川沿いの豊田盆地を一望に収める高台にあります。山腹には樹齢100年をこえる大藤棚があり、初夏には見事な紫の花をつけ、花見客でにぎわいます。
秋根神社の境内にある6世紀中頃の円形墳で、墳丘が削られ、石室の一部が露出しています。石室は横穴式石室で、奥室と前室があり、室壁はほとんどが礫岩で一部に花崗岩が使われています。さらに石室全体は、天井部に近いほど小石を積み上げドーム状になっています。奥壁と側壁奥より部分には、ベンガラと思われる赤色の顔料が塗られており、特に奥壁の下半分の色はよく残っています。天井石は、奥壁と玄門側の両方から順に置き、奥から2枚目の石を最後にのせています。
綾羅木川を中心として広がる沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。有富古墳は、この丘陵地の北東に接する山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として5基の円形墳が発見されましたが、現在では2基を残して他は消滅しています。直径12mの円墳で横穴石室をもち、玄室は胴張りがほとんどなく、石材は小さいものを使用しています。下関市内でも、最も形の整った円墳です。
●管理・申込生野神社
維新の街下関の酒蔵だからこそ、伝統を守りながらも日々革新を続けています。いち早く社員による酒造りに取り組み、県内唯一の四季醸造蔵で、四季を愛でながら楽しむ「旬の日本酒」を醸しています。また、敷地内には「酒と食と心の安らぎ」をコンセプトにした直販店「酒庵空」を展開し、日本酒についての情報発信を行うとともに、ジャズコンサート等イベントを開催し、日本酒のあるライフスタイルの提案も行っています。お申込みは2週間前までに下関商工会議所振興課まで。