宝暦3年(1753年)の新庄大火に始まる大凶作のため、宝暦6年には多数の餓死者を出した。最初死者を接引寺に埋めたが、野犬等が掘り出すためこの地に埋めた。丸仏は、宝暦・天明両飢饉のそれぞれ六十一回・三十三回忌に当る文化13年に建てた供養塔である。新庄まつりはこの宝暦の大飢饉の際に、時の藩主が領民を励ますためにはじめたのが起源とされている。
山形県新庄市松本
(1)新庄駅からバスで
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