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国指定重要文化財旧飛田家住宅、県指定文化財旧中山家住宅の公園。旧飛田家は、18世紀前半頃に建てられた農家住宅である。茨城県にある曲屋形式の住宅の中では最も古いものであり、昭和43年に国指定重要文化財に指定された。旧中山家は、17世紀後半に建てられた大農家の住宅で、建物は猿島地方の典型的な「直屋」といわれ、昭和48年に茨城県指定重要文化財に指定された。
地下1階、地上2階建て、外装は白壁にかわら屋根という土蔵風に仕上げられ、内部は展示、収蔵、研修、管理の4部門からなっている。展示部門は展示ホール、常設展示室、企画展示室、ビデオ展示コーナーに分かれ、古河藩主土井利位の雪華研究の資料、江戸時代の蘭学者、鷹見泉石の蘭学資料、江戸時代から明治時代にかけて活躍した古河出身の画家奥原清湖、河鍋焼斉の絵画などが展示されている。
古河公方足利氏の古河城別館。鴻ノ巣御所とも呼ばれる。茨城県指定文化財。この館跡碑の西と東には、当時の堀と土塁の跡をとどめている。
江戸中期の土井氏の家老であり、蘭学者としても有名で大塩平八郎の乱の鎮圧を指揮した、鷹見泉石の晩年の住まいを改修したもの。
日本で初の受賞となる「ユネスコ・メリナ・メルクーリ国際賞」を受賞した公園。25ヘクタールに及ぶ広大な自然の中に、四季折々に咲く美しい花々が、訪れる人を和ませる。春には矢口、源平、菊桃など5品種の花桃が咲き誇り、まさに桃源郷を思わせる情景が広がる。初夏になると、藤、菖蒲、紫陽花が見どころ。夏には古代蓮の、実を発芽させた「大賀蓮」が2,000年の時を経て、訪れる人々を楽しませている。
出雲神社から勧請したといわれ,夏の祭礼にはささら獅子舞いが奉納される。歴代の古河城主に厚く信仰された。雀神社の名の起こりは、この周辺を「雀が原」と言っていたので、その名がつけられたと言われている。また、「国を鎮める神」の鎮めが雀になった、とも言われている。
古河公方館跡(県史跡)は、御所沼と呼ばれた沼に突き出た所に位置し、「鴻巣御所」とも呼ばれていた。ここは古河公方足利成氏が古河城の別館として築城したものといわれる。また最後の古河公方義氏の遺児氏姫が古河城からここに移され、その死まで住んだ所でもある。現在は「古河公方館跡」の碑が立っており、近くには堀と土塁を見ることができる。
鎌倉時代、源頼朝の家臣下河辺行平が築城したのが最初という。慶長6年松平康長が二万石で入封して近世城郭として整えられた。城主は幕府の要職にあったものが多く古河が日光、奥州の両街道に面した要地であったことを裏付ける。◎土井利勝(1573-1644)徳川秀忠の側近。秀忠没後古河城主となり、大老となった。◎土井利位(1783-1848)古河藩主。大坂城代、京都所司代、老中など幕府の要職を歴任。一方、雪の研究家としても有名。◎鷹見泉石(1785-1858)古河藩家老として藩主土井利位を補佐。蘭学研究者としても海外地理研究に名を残す。
古河公方跡や五代公方義氏の墓等の史跡保存要請をきっかけに造成された公園。土井利勝植栽「鴻巣桃林」の復活として植えられた約二千本のハナモモは、市の花で毎年「古河桃まつり」が盛大に行われる。
2012年にラムサール条約に登録となった貴重な自然が残る湿地。三国橋そばにあり釣りなどが楽しめる。