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明治24年、酒田の大地主伊藤家の別荘の庭園として造営された池泉回遊式日本庭園。老松の緑陰濃く、庭石や石灯篭が巧みに配され、静かなたたずまいをみせている。
本間光丘寄進の唐門が有名。
忠海上人、円明海上人の二即身仏(ミイラ)を安置。真言
酒田を築いたといわれている三十六人衆にゆかりの深い寺で石碑がたっている。
酒田発展の基礎をつくった豪商本間光丘を祀る。
国指定史跡「城輪柵跡」に隣接。三代実録に855年出羽国城輪の神に従五位下を授けたとある。
芭蕉「奥の細道」ゆかりの地。芭蕉が酒田滞在中、宿とした医師伊東不玉宅跡。石碑及び説明板のみ。
国指定史跡である城輪柵跡は出羽国府跡といわれている。一辺が約720mのほぼ正方形の形をしており、中央部には、一辺が115m四方の政庁とよばれる区域があり、現在は史跡公園として整備されている。
もと東禅寺城という。荘内地方が上杉領に定まってのちの慶長5年(1600)、最上義光が直江兼続を破った余勢をかって荘内に大軍を送り、翌6年、この城を攻めた。時の城主志田義秀は、激戦を展開した末、敗れた。2年後、城近くの浜に大亀が打ち上げられたのを瑞兆として、義光はこの城を亀ケ崎と名づけた。現在の酒田東高校が城跡で、わずかに土塁が残されている。
延命寺・生石神社の境内に集中し、生石周辺には40余基の板碑が散在している。