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国泰寺

二上山麓にある国泰寺派総本山。虚無僧の寺として知られ開山忌には尺八法会が開かれる。筍料理が名物。

気多神社

越中一の宮として崇敬高い延喜式内の古社。三間社流造り、こけら葺屋根など室町時代の風格を誇り、国の重要文化財に指定されている。

守山城趾

応安4年(1371)7月、南朝の桃井直常が、石動山天平寺の衆徒と組んだ時、越中守護の斯波義将がこの城へ立て篭もったのが城の初見。畠山氏が越中守護になった時、守護代の神保氏が本拠として200年の居城とした。天正4年(1576)上杉謙信に奪取されるが、奪い返し佐々に従う。だが、同13年以後、前田氏の有となる。◎桃井直常(?-1380)群馬県群馬郡生れ。越中守護、初め足利尊氏に従うも、弟直義に味方、南朝派となり各地で転戦。岩瀬城で自殺。

弓の清水

越中の山街道を進軍中の兵士達がしきりにのどの渇きを訴えたため、義仲が、水を求めてこの地に矢を放ったところ、矢のささった所から清水が湧き出たという伝説がある。現在も水が湧き出し義仲の銅像が立つ。

高岡古城公園

慶長14年(1609)加賀二代藩主前田利長公が隠居城として築いたが、完成を見ぬうちに、一国一城令により廃城となった。縄張は、当時前田家の客将であった高山右近。そのためか他の城郭と異なって、本丸を、二の丸・明き丸・三の丸・鍛屋丸という名の曲輪が、縦に並んだ形で守備するという、風変わりな構築であったという。今、城址は広大な古城公園となっていて、外堀と石垣の一部が残っている。◎前田利長(1562-1614)名古屋市生れ。武将。利家の長子。織田信長に認められ、越中府中の城主、越中守山城主、また金沢城主となるも、富山城に隠居。慶長14年高岡城を築き、慶長19年没。

桜谷古墳

前方後円墳2基,円墳7基,4〜5世紀初頭のものと推定。

越中国分寺跡

薬師堂が当時の姿を忍ばせる。

土蔵造りのまち資料館

繊維問屋を営んでいた「旧室崎家住宅」であり、山町筋の町の形成から土蔵造りの成り立ちについて紹介している。

武田家住宅

公開:9:00〜16:30 休業:火

武田信玄の弟逍遥軒信綱の末裔と伝えられ、代々肝煎(庄屋)を務めてきた家柄。およそ200年前の建物で、間口、奥行きともに21m、建築面積443平方mに及ぶ大規模なものである。国の重要文化財建造物。

御旅屋門

加賀藩3代藩主前田利常公が、鷹狩りの宿として造営した「御旅屋」の正門。5代藩主綱紀公まで使用され、現在は永安寺に移築されている。この門から当時の建物全体の豪壮さがうかがわれる。

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