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1221年の承久の乱で捕えられ、菊川の里の宿の柱に辞世の句を残した中納言宗行卿の塚。句碑は、菊川の里会館入口にある。
旧東海道金谷坂石畳を登りきったところにある。「馬に寝て残夢月遠し茶の烟」大正末期、昭和40年9月再建。
1684年頃金谷宿に立ち寄った際に詠んだ句「道のべの木槿は馬にくわれけり」
横岡地内の地積のことで隣接地域との紛争があり、横岡の人達はこれを上訴しようと名主に図ったが断られた。畳職をしていた金兵衛は、自ら代表者となり一挙にこれを解決しようと決死の覚悟で幕府に直訴した結果言い分が認められ、解決出来たのでこの恩を忘れず横岡の人々は香華を絶やさない。
明治天皇の遷都行幸の際、行列をとめて富士の眺めを賞されたところ。昭和3年3月静岡県建立。
牧之原公園内。昭和36年、日本茶輸出100年を記念して、町民有志「栄西禅師顕彰会」によって建立された。
釈迦の死をあらゆる生物が嘆き悲しんでいる様を描いた丸尾月嶂の釈迦涅槃図(1817)市指定文化財(絵画)・徳川家康の側室「茶阿局」(六男忠輝の生母)の位牌がある。
永村茜山の「雲龍の図」、「天女図」、「樹木と花卉図」が内・外陣の天井に描かれている(1860)。[県指定文化財(絵画)]
全国的にも珍らしい男子の神楽がある。
永禄11年(1568)武田信玄が遠江侵攻のために築いた砦を、その子勝頼が大規模な山城に修築し、遠江攻略の拠点とした。天正3年(1575)8月、長篠で敗戦した後、遠江に進攻した徳川家康の手に落ち、牧野城と改名。