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原爆と戦争の犠牲者の冥福と平和を祈る巨大な観音像が立っている。別名長崎観音。
鉄心禅師創建の黄檗宗寺院で俗に広東寺ともいう。境内にジャガタラお春の碑があり,また梵鐘は九州一。
長崎の総氏神。長崎市北東の玉園山全域を占める壮大な社殿。10月の大祭,長崎くんちは日本三大祭りのひとつ。
福州僧超然開基の黄檗寺院。長崎の唐三箇寺の代表。明朝末黄檗様の建築で本堂,第一峰門は国宝。
中国僧真円開基の黄檗寺院。本堂大雄宝殿は国の重要文化財。異国情緒に満ちた寺域は県の史跡。別名「あか寺」。
原爆のため焼失後,1959年に再建された鉄筋コンクリート建ての大堂。一つ残されたアンジェラスの鐘が荘厳に鳴りひびく。
日本キリシタン殉教史の始まりといわれる場所。
長崎開港以来,ポルトガル商人は,市内各所に市民と同居していたが,1634(寛永11)年幕府は日本人との同居を禁止し,出島と呼ばれる人工島に彼らを隔離した。広さ1万3000平方mの扇形の出島は周囲に土塀をめぐらし,出入口はひとつの橋だけであった。現在は,その跡に,1820年頃の出島を模した約15分の1の模型が作られている。遊女部屋,通詞部屋など43棟の建物,旗竿,洗濯場などが,当時の様子を物語っている。平成12年4月には西側五棟が復元公開された。
1823年(文政6)オランダ東インド会社の医官として来日したドイツ人シーボルトが,その翌年から鳴滝塾を開いた場所。日本の西洋医学発祥の地である。
洋式砲術の先駆者として知られ,砲痕石等が残る。