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来島海峡にせり出した100m足らずの山。海峡を眼下に見おろす。
四国霊場第55番札所。四国霊場八十八ヶ所の中で唯一「坊」という名称がついています。古義真言宗御室派で、もと大三島大山祇神社の属坊として宮浦(大三島)に建てられたものですが、正治年間(1199〜1201)に別宮大山祇神社の別当寺として8坊が移されたものの一つ。
祭神は菅原道真公で江戸時代に国分の古天神から分離独立したと伝えられている。道真公が藤原時平の策略によって大宰府の役人として左遷される途中、風波のため志島ヶ原の東入江に漂着した。そのとき村人たちが漁船の綱を丸く敷いてもてなしたのが社名の起源だといわれている。
「延喜の観音さま」として親しまれている。重要文化財の石塔11基がある。
四国霊場第54番札所。延命寺は、近見山宝鐘院と号し、行基の開基、空海の再興との伝えがあり、本尊は不動明王で、もと近見山山頂近くにありました。宝永元年(1704)鋳造の梵鐘は、延命寺の歴史を刻む貴重な文化財であって、昭和63年4月に今治市の有形文化財に指定されています。
四国霊場第59番札所。天平13年(741年)、聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つです。消失・再興を繰り返し、現在の本堂は寛政元年(1789年)に建てられたもの。書院の収蔵庫に国分寺文書3巻などの寺宝を収納している。近くに伊予国分寺塔跡があり、礎石13個が現存している。
四国霊場第56番札所。境内に本堂・大師堂・鐘楼がある。その昔、ここを訪れた弘法大師が度々氾濫する蒼社川に堤防をつくり人々を救ったという逸話が残る仏閣。本尊の木彫地蔵座像は、室町期の作で、修理されていますが、当地方屈指の巨像です。
大三島大山祇神社から分社。別宮さんとよばれる。樹齢300年以上のクスの木は、「お袖さん」と呼ばれ、市の天然記念物となっている。
続日本紀にも載っている古社。宝篋印塔は重要文化財。5月10日に行われる春の祭礼は、今治地方では最も華麗なもので、古式のままの奴行列や継ぎ獅子の競演はみごとである。
巨大な花崗岩の自然の礎石6個がある。国分寺の材木で建てられたが、現在は塔の跡だけが残る。