勢多尾城とも云う。現在は堀切の中に極めてめずらしい変形障子堀もある。16世紀前半頃より、阿蘇氏の戦闘城としての役割を果たしていたが、天正十年(1582)、肥後に侵攻してきた島津氏の2度に及ぶ攻撃で落城。自然の地形を利用し14本の堀切(尾根すじを分断した堀)、7つの郭(人工的な削平地)、変形障子堀などを有す、県内でも有数の大規模山城。近年の調査では「門跡」が発見されている。
熊本県下益城郡美里町中郡字城山
(1)松橋駅からバスで
徒歩で
建築年:不明、正確な建築年代は不明だが、中世の文書「八代日記」では、大永三年(1523)、「勢田尾城」の名で記載されている。国の重文指定
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