明暦3年(1657)、大村藩は郡崩(郡中心の約600名の隠れキリシタン摘発事件)のあと、領内のキリシタン墓を徹底的に破却させたが、これは偶然その難を免れたもの。明和8年(1662)に死亡した富永二介の妻の墓で高さ76センチの自然石に和洋折衷の碑銘があるのは全国的にも珍しい。
長崎県東彼杵郡川棚町下組
(1)JR川棚駅から徒歩で
建築年代1:江戸
備考:無料
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