明暦3年(1657年)潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関係ある所です。翌年の万治元年(1658年)に、大村牢から200人の武士に厳しく警護されて、処刑のため131人が斬罪所に連れて行かれました。見送ってきた家族や親戚の人たちと、最後の別れを惜しみ、水盃を交わした所と伝えられる場所です。とめどもなく流れる悲しみの涙で濡れた石として、またの名を「涙石」とも呼ばれ、今でも苔が生えないといわれています。戦前までは7個ありましたが、現在は3個が残っております。
長崎県大村市杭出津3丁目
(1)バスで(上杭出津下車、徒歩8分)
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