少弐資時の墓

長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦
連絡方法
営業時間
  • 営業日: 

基本情報

1281年(弘安4年)、4万もの蒙古東路軍が対馬を襲い、次いで壱岐に攻め込んできた。二度目の襲来、弘安の役である。北西部海岸(瀬戸浦)と勝本から上陸した元軍を迎え撃ったのが、当時の壱岐守護代、弱冠19歳の少弐資時であった。船匿城に居た資時は、わずかな軍勢で激戦を繰り広げたが全滅したと言われている。少貳公園の松林の中に資時の墓がある。展望台の近くには防人の烽火台や、弘安の役の碇石がある。周辺にはキャンプ場や遊歩道もある。

住所

長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦

アクセス

(1)芦辺港から車で(芦辺港から瀬戸、箱崎漁協方面に向かう。坂道を上ると駐車場がある。途中で標識がいくつか出ている。)

その他


詳細情報

  • 予算

    -

  • 駐車場

    -


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