武市瑞山は、文久元年に土佐勤王党を結成し尊攘運動を進めた。対立する吉田東洋を暗殺し、東洋と同じく公武合体論をとる藩主山内容堂は勤王党弾圧に乗り出し、文久3(1863)年に捕らえられ、2年後南会所のあったこの地で自刃を命じられた。現在の殉節碑は約50m西北の四国銀行帯屋町支店の側に立っている。
高知県高知市本町3丁目1
(1)高知駅から路面電車で大橋通から徒歩で
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