幕末の志士。天誅組首領。諱(いみな)は重郷。天保8年4月18日高岡郡津野山郷(東津野村)芳生野の床屋に生まれる。北川村を始め大庄屋を歴任。瑞山の指示で脱藩、天誅組首領として活躍中、鷲家口で戦死。享年27才。「吉野山風に乱るる紅葉は我が討つ太刀の血煙と見よ」の辞世の句は有名。
高知県高岡郡津野町新田
(1)須崎駅からバスで
-