鎌倉時代のはじめ、阿波守護となった小笠原長清によって、守護所として築城され、太平記の時代から細川家の戦国時代には三好氏の居城として勝端城の名は知られ、その城下町の発達はめざましく、畿内との交易や文化交流も盛んであった。いまも内濠に囲まれた本丸跡がよく残り、域内には三好三代の墓地がある。
徳島県板野郡藍住町勝瑞字東勝地
(1)勝瑞駅から徒歩で
時代:1336
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