生家は代々医業として、伯自身も藩の医学生として長崎に留学した。後年縁あって山県有朋の知遇を得て、明治大正政界の巨人として、日本を背負って立ち文部大臣時代に「教育勅語」を起草した。芳川伯の生家は現在町有として原形のまま保存されている。
徳島県吉野川市山川町川田1204
(1)阿波山川駅から車で
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