大村益次郎は、1825年(文政8)吉敷郡鋳銭司村(現山口市鋳銭司)の医家に生まれ、蘭学・医学を学び、兵学をもって萩藩に仕えました。四境戦争(1866年(慶応2))では、優れた戦術をもって幕府軍を破り、討幕の機を早め、戊辰の役にも参謀として活躍。明治維新後は軍政最高の地位にあって国政を改革し、日本の軍政の近代化に尽力しました。1869年(明治2)9月、襲撃を受けて重傷を負い、11月大阪の病院で死亡。遺骸は船で郷里に運ばれ、自宅近くの山口市鋳銭司に埋葬されました。墓の後方に1878年(明治11)に建立された神道碑があり、その南の長沢池畔に大村神社が建てられています。
山口県山口市鋳銭司3502
(1)JR「新山口駅」から列車で
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(3)山陽自動車道山口南ICから車で
時代:明治時代
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