萩往還は、慶長9年(1607)萩城築城後、その城下と三田尻(防府)をほぼ最短で結ぶ参勤交代道として開かれた陰陽連絡道で、延長52.7キロメートルの街道。近世の民衆や維新の志士たちの交通路としても重要な役割を果たしました。元々は、室町時代に山口を中心として放射状につくられていた道を、江戸時代になって整備したもの。関連の遺跡として、国境の碑、一の坂一里塚、六軒茶屋があります。
山口県山口市大字宮野上及び大字上宇野令地内
時代:江戸時代
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