東と西の人たちが渡船により往来していたが、文政4年の放生津大火で多数の焼死者を出した事は橋がなかった故、後に藩は長さ30間(55m)・幅9.5尺(2.9m)の板橋をかけた。これを世間では「お助け橋」と云った。
富山県射水市港町〜放生津町間
(1)高岡駅前からから路面電車で(万葉線)万葉線・射水市役所新湊庁舎前駅から徒歩で
建築年代1:1895年
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