北陸宮は、平安末期の源平合戦の際、木曽(源)義仲が擁護し、朝日町・宮崎の豪族である宮崎太郎に守護を命じた。ここには、京都の北陸宮墳墓の土を甕(かめ)に納め、ふくさで包み、『北陸宮以仁王第一王子寛喜第二年七月八日薨御歳六十六』と書かれた陶板を附したものが納められている。朝日町県立自然公園となっている。
富山県下新川郡朝日町元屋敷城山
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