この地は吉野と伊勢神宮のほぼ中間で,まわりを険しい山で囲まれた小盆地である。北畠親房の子顕能が盆地中央の山麓に居館を建て,標高560m,眺望雄大な山頂に霧山城を築いた。以後,八代具教まで北畠氏の本拠であった。天正4年(1567)具教が死ぬと,この城も焼き払われた。
三重県津市美杉町上多気
(1)比津駅から徒歩で(2)伊勢奥津駅から車で
時代:1343
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