北畠満雅が応永22年(1415)に築いた城で、弟の顕雅を城主とした。永禄12年(1569)北畠具教はこの城に篭もって織田信長と戦った。織田勢は力攻したが失敗、兵糧攻めに転じたため、具教はついに信長の次男信雄を養子とする条件で和睦。信雄が田丸城に入ったため廃城。◎北畠具教(1528-76)戦国時代の武将。弓馬・兵法・和歌など文武に秀でた端将といわれる。永禄のはじめごろから織田信長の伊勢侵攻によって、多気・大河内両城を棄てて三瀬の古城に移り、1570年出家。
三重県松阪市大河内町
(1)松阪駅からバスで(大石・飯高地域振興局・上木梶・スメール行き)
広坂から徒歩で
時代:1403
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