平安末期源氏の頭領だった義朝は、平治の乱で平清盛に破れ、長田忠致を頼って内海に逃げのびました。しかし忠致は寝返り、入浴中の義朝を謀殺しました。そのとき、「ここに一ふりの太刀ありせばかかる遅れはとらぬものを」と言い残したと言われ、現在も多くの小太刀が奉納されています。
愛知県知多郡美浜町野間東畠ヶ50
(1)名鉄野間駅から徒歩で
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